テレビ部門グランプリ

2010年代

番組名、放送局 説明
2018 メ~テレドキュメント 葬られた危機~イラク日報問題の原点~

(名古屋テレビ)
メ~テレは2018年11月7日、「メ~テレドキュメント 葬られた危機~イラク日報問題の原点~」が今年の日本民間放送連盟賞のテレビ部門の準グランプリを受賞したと発表した。従来の日本民間放送連盟賞と日本放送文化大賞が一本化され、今年から新たな日本民間放送連盟賞になった。グランプリと準グランプリは、9月に発表されたテレビ4部門の最優秀・優秀の計8番組の中から選ばれた。「葬られた危機」は、湾岸戦争時にペルシャ湾に派遣された民間輸送船を追った。村瀬史憲プロデューサーは「(準グランプリの)受賞を励みに今後も『葬られた事実』を探っていきたい」とコメントした。
2017 記憶の澱(おり)

(山口放送)

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<放送文化大賞も受賞>
民放連は2017年11月7日、放送文化の向上に寄与した番組を顕彰する第13回日本放送文化大賞を発表。  テレビ部門のグランプリ(報奨金1千万円)に山口放送の「記憶の澱(おり)」、準グランプリ(同500万円)に山形テレビの「YTSスペシャル 希望の一滴~希少難病に光!ここまで来た遺伝子治療~」を選んだ。  ラジオ部門のグランプリ(同300万円)はエフエム東京の「ミュージックドキュメント 井上陽水×ロバート・キャンベル『言の葉の海に漕ぎ出して』」、準グランプリ(同150万円)は静岡放送の「SBSラジオギャラリー 幸せのカタチ~本当の親子 本物の親子~」に決まった。受賞作は原則として3カ月以内に全国放送される。

渡部雅史(プロデューサー)、佐々木聰(ディレクター)、山本健二、山本宏幸、山本透(撮影)、原田かおり(ナレーター)、花﨑美香(美術)
2017 人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり

(東海テレビ)

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愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンに暮らす建築家の津端修一さん(撮影時90歳)、英子さん(同87歳)夫妻。かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、東京の多摩平団地などの都市計画に携わってきた。自然を生かす街づくりを目指したが、時代は高度経済成長期。修一さんの考えは受け入れられなかった。

 その後、2人は自ら手がけたニュータウンの一角に土地を購入し、家を建て、畑を耕し、木を植えた。食卓にのぼるのは、2人が育てた70種類の野菜と50種類の果実。約40年かけて、仕事ではかなえられなかった“自然との共生”という夢を日常生活の中で実現させた。2人の生き方を見て、「真面目にコツコツやれば、いいことがあると信じられるようになった」と伏原健之(けんし)監督(47)=東海テレビのディレクター=は振り返る。

 老老介護や孤独死など悲観的なニュースにあふれる今。「年を取ることが楽しくなるような人生のお手本になってほしい」。そんな思いから伏原監督が2人にカメラを向け始めたのは、2014年5月。カメラ嫌いでインタビューをはぐらかす修一さんと料理や手仕事が得意な英子さんを約2年間、追い続け、豊かな暮らしや人生の妙味を写し出した。「ドキュメンタリーの醍醐味(だいごみ)は、長く追っていくと、意図していたものと違う何かが見えてくるということ。余白を大事に編集しているので、いろいろな見方で2人の生き方をとらえてほしい」

 ナレーションは女優の樹木希林が担当。「人生フルーツ」というタイトルは、阿武野勝彦プロデューサー(58)が付けた。「コツコツゆっくりと時をためる2人は、たわわに実った果実のよう。作品を見た人の感想を介して、違った形に膨らんでいくというようないろんな意味も含まれており、語りたくなるドキュメンタリーになった」と胸を張る。
2016 奥底の悲しみ ~戦後70年、引揚げ者の記憶~

(山口放送)

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KRY山口放送(本社・山口県周南市)が制作したテレビ番組「奥底の悲しみ~戦後70年、引揚げ者の記憶~」が、第11回日本放送文化大賞(日本民間放送連盟制定)のテレビ部門グランプリを受賞した。KRYがグランプリを受賞するのは2008年以来2回目。

 「奥底の悲しみ」は5月30日に放送された70分番組。戦後、引き揚げ者を受け入れた山口県長門市・仙崎港の援護局に残る記録を基に、旧ソ連軍の性的暴力の悲惨さなどを証言で紹介した。審査員は「戦争体験が一人の人間にどれほど重くのしかかるかを映像の力で示した力作」などと講評している。

 また、連盟賞として、同番組が番組部門(テレビ報道番組)の最優秀賞を受賞したほか、800年以上続く岩国市由宇町清水地区の祭りに密着した番組「山の神祭り~祭りと暮らす山里~」と、車両に中波ラジオの受信状況を測定するシステムを設置するなどした取り組み「ラジオ移動測定装置と検証ツールの開発」が、それぞれ番組部門(テレビエンターテインメント番組)と技術部門で優秀賞に輝いた。KRYが連盟賞を受賞するのは1975年から41年連続。
2015 NNNドキュメント'14 マザーズ~特別養子縁組と真実告知

(中京テレビ)

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養子を迎えた家族のその後を描いたドキュメンタリー。特別養子縁組がテーマのドキュメンタリーシリーズの2作目。特別養子縁組制度をあっせんする名古屋市のNPO法人が舞台。さまざまな事情から子どもを育てられずに制度を利用する母親らを取材した。子を引き取る里親が将来、養子の事実を子に伝えるべきかとの課題にも迫り、新しい家族のあり方を問い掛ける番組となっている。 1作目は2012年に放送。2018年の5作目は、1作目に登場した幸太郎君(6)と、その家族の7年間に焦点をあてた。「養子の赤ちゃんはその後どうなったんだろう」という視聴者の感想を耳にしたのがきっかけで製作されたという。

 ディレクターの安川克巳さんは11年の東日本大震災後、震災孤児を養子に迎えたいという海外の希望者が多いことを知り、企画を提案。育てられない親や、育てたいと願う親の姿を撮り続けてきた。「決してかわいそうな家族ではなく、幸せな家族の話なんだということを伝えたい」

 安川さんが7年の取材を通じて気づいたのは、養子が出自を知ることは、周囲が想像する以上に重要な意味を持つということ。以前取材した養子の女性は、裁判所の記録から生みの母の住所を割り出し自宅前まで行ったが、呼び鈴を鳴らさなかった。存在を確かめただけでも、女性は落ち着いたように見えたという。

 「幸太郎君もアイデンティティーに悩む日が来るかもしれない。そんな時に『自分はこんなに望まれて生まれ、愛されて育った』と思ってもらえるような番組になれば」
2014 ノンフィクションW 映画で国境を越える日~映像作家・ヤン ヨンヒという生き方~

(WOWOW)
映像作家ヤン・ヨンヒに密着したドキュメンタリー。強い覚悟と信念が痛いほど伝わる。

 大阪で生まれ育った在日コリアン2世のヤン。6歳のとき、3人の兄が帰国事業で北朝鮮に渡り、離ればなれに。平壌で暮らす兄を撮った2005年発表のドキュメンタリーが世界中で絶賛されるが、その後は北朝鮮から入国を禁じられる。2012年には、こうした実体験を基に、離れて暮らす家族のつかの間の再会を描いた劇映画「かぞくのくに」を公開し、深い共感を呼んだ。  苦悩を抱えながらも、彼女が家族をテーマに作品を撮り続ける理由は、家族を守るためでもあった。

アメリカのアカデミー賞外国語映画賞の日本代表作品に選出された。
2013 大震災から1年 ドラマ特別企画『明日をあきらめない・・・ がれきの中の新聞社』~河北新報のいちばん長い日~

(テレビ東京)

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東日本大震災で大きな被害に遭いながら、新聞を発行し続けた地方新聞を舞台にしたドキュメンタリードラマ。

東北のブロック紙・河北新報(仙台市)は震災により、取材・発行エリアが激しい被害にさらされた。新聞発行が困難になったが、新潟日報の力を借り、途切れることなく新聞を出し続けた。  ドラマは、社員一丸となっての戦いを記した「河北新報のいちばん長い日」が原作だ。

 武田真一報道部長(渡部篤郎)を主役に、宮城県気仙沼市に取材応援に向かった記者・丹野綾子(小池栄子)、津波にのみ込まれた販売店店長の妻(斉藤由貴)ら家族を軸に据えた。「家族を案じつつも新聞を出すため全力を尽くした人々の姿は、日本人の勤勉さを象徴している」。福田裕昭チーフプロデューサーは語る。

 登場するのは実在の人物。制作陣は、ほぼ全員に会い、本の内容を確認した。小池は実際に丹野記者と会い、3時間以上も語り合った。その中から、原作には書かれなかった出来事も、新たにドラマに加わった。  なぜドキュメンタリーではなく、ドラマなのか。「俳優たちの力を借りないと、心情・真実に近づけないこともある。『証言』以上に、真実に近づきたい」と、福田は説明する。

 テレビ東京は東北に系列局を持たないが、衛星放送のBSジャパンやTBS系の東北放送(宮城県)などで放送された。
2012 SBSスペシャル サヨばあちゃんの無人駅

(静岡放送)
小さな集落に生きる人々の心の機微と結び付きを丹念に描き出した。

島田市川根町にある大井川鉄道抜里[ぬくり]駅。周囲を茶畑に囲まれた無人駅で、手作り総菜を売る「麦の会」代表の諸田サヨさんは、一人暮らしで食事に困るお年寄りを訪ねていた。

 駅舎の風景を撮影しようと訪れた阿部朋也ディレクターは、総菜を売るサヨさんに出会った。周囲に心を開かない男性を幾度も訪ねるサヨさんの笑顔に引き寄せられ、デジタルカメラを持って通い詰めた。

 阿部ディレクターは「取材だからと構えず、自然体で向き合う。“心のレンズ”を向けて人々を描こうと思った」。少しずつ集落に溶け込む姿勢は、番組として結実する。集落の現状をそのまま描き、自ら生きる道を見つける高齢者の姿を映し出したと、審査員から評価を受けた。

 取材を重ねるうち、サヨさんの優しさやたくましさが周囲に広がるさまを見た。サヨさん自身も一人暮らし。幼いころの満州引き揚げ経験を打ち明け、「人間の底を見てきた。今はすべてが幸せに思える」と語る場面は、サヨさんが内に秘めた思いがあふれる。

 限界集落、買い物難民。小さな集落から、日本の縮図が見えてきたという。番組放送後も「自らの境遇に重ねた」と共感の声が相次いだ。

 取材中、東日本大震災が起きた。テレビに何ができるかを考え続け、「今、この番組を通して生きる力を世に伝えると運命を感じた」という。「一人の女性が投げ掛けた思いが、人を動かしていく。賞をいただき、より多くの方にお伝えできてうれしい」。数年間にわたって取材を重ねた阿部ディレクターは、「強くて優しい人の輪、生きる力を訴えたい」と心を寄せる。
2011 戦場に音楽の架け橋を~指揮者 柳澤寿男 コソボの挑戦~

(BSジャパン)

 参考動画1→

 参考動画2→
コソボは2008年にセルビア共和国から独立宣言したアルバニア人による国家。だがかつて内戦に発展したセルビア人との対立は今も変わらない。

 番組の舞台はそんなコソボのミトロビツァという町。セルビアとの国境に近いこの町には橋があり、両端には両民族が住む地区がある。しかしお互いがその橋を渡ることはなく、民族対立は残されたまま。そんな現状を憂い、行動に出た一人の日本人がいた。「国立コソボフィルハーモニー」の常任指揮者、柳澤寿男(としお)(37)である。

 柳澤が楽団の指揮者に就任したのは、知人の紹介で07年にタクトを振ったのが縁だった。柳澤は橋の近くで、両民族の混合オーケストラによるコンサートを思いつく。だが国連職員もコソボ政府も混乱を恐れ、難色を示す。「やりたいっていう音楽家がいて、それと国とは関係ない」と、いらだつ柳澤。幼い子供と妻を日本に残し、停電や断水が日常茶飯事のアパートで暮らす。月給3万円で奔走するが、場所の確保や団員探しなど障害が立ちはだかる。それだけにオーケストラが結成され、音を奏でる場面には胸が熱くなる。音楽の力を再確認するとともに、柳澤の人間力に勇気付けられた。
2010 赤ひげよ、さらば。~地域医療“再生”と“崩壊”の現場から~

(北海道放送)
地域医療の現場を丹念に追った。番組は約1時間。それによると、胆振管内むかわ町の国保穂別診療所では、軽症でも時間外受診する住民や行政の立ち遅れによって、常勤の医師たちが退職。一方、隣の夕張市にある「夕張希望の杜(もり)」では、職員や住民の意識改革によって地域医療が再生しつつあった。

 日本放送文化賞の審査では、「地域医療の問題点をとらえながら、正面から闘う医師の苦悩と本気さが描かれている」と評価された。取材した山崎裕侍記者は「これまでの地域医療の報道は、赤ひげ先生のように家族や自分の人生を犠牲にし、献身的なお医者さんが多かった」「住民に憤り、怒りをぶつける、今までと違ったお医者さんを取材できた」と指摘し、今回の番組は新たな角度から取り組んだ。

 国保穂別診療所の一木崇宏医師(2009年5月に所長に復職)が辞めると聞いたのが取材のきっかけ。2年前、地域医療に懸命に取り組む一木医師と出会っていた。山崎記者は「住民のコンビニ受診で疲れ切ったのも辞めた原因の一つ。だが、地域医療を住民自身が考えてほしいと思ったようだ。投げ出したとの誤解がまだ多い」と話す。

 番組では、医師の主張する姿が目立つ。むかわ町議が夕張を訪れ、「夕張希望の杜」理事長の村上智彦医師と丁々発止する場面は、「電話を何本か入れてキャッチした」と、丹念な取材が実を結んだ。

 国保穂別診療所の医師と住民との懇談会では、「お医者さんが思いを率直に語っている。診療所がどうなるか分からない切迫した状況で、カメラが入れてよかった」と話す。これからは、「穂別に医師が戻ったことが新しい地域医療をつくるためのスタートと感じてくれれば」と願う。

2000年代

番組名、放送局 説明
2009 山で最期を迎えたい ある夫婦の桃源郷

(山口放送)

 映画版(ふたりの桃源郷)の予告編→
山口県岩国市美和町の山奥で自給自足の暮らしを営む老夫婦を追ったドキュメンタリー番組。 山口放送が25年にわたり、取材・放送してきた人気シリーズ。 2016年には映画「ふたりの桃源郷」(1時間27分)として公開された。

「自分たちの食べ物は自分たちで作る」「土があれば、何でもできる」。それが口癖だった田中寅夫・フサコさん夫婦は、終戦後、山を開墾し、家を建てる。高度経済成長期に3人の娘の将来を思い、大阪に転居したものの、還暦を過ぎた2人は、かつて自らの手で切り開いた山へ戻ってくる。

 電気や水道も通らない過酷な環境下。娘たちの心配をよそに、2人は生き生きとした表情で、畑で採れた季節の野菜を食べ、湧き水を沸かした五右衛門風呂に入り、釜でご飯を炊く。モノはなくても、豊かで穏やかな暮らしを見守り続けるカメラは、やがて夫婦に忍び寄る老いにも向けられる。そして、ともに93歳で他界した2人の山への思いは、大阪から移り住んだ娘夫婦に引き継がれる――。

 山口放送のディレクターでもある佐々木聰(あきら)監督が2人にカメラを回し始めたのは2001年。1991年から取材していた先輩ディレクターからバトンを引き継ぎ、畑仕事を手伝い、寝食を共にしながら夫婦を撮り続けた。「2人が山での生活にこだわったのは、『郷愁』という思いではなく、『農』を中心に据えた生き方をまっとうしたかったから。自分たちの思いを貫いた真っすぐな生きざまに魅了された」

 家族、老い、看取(みと)り、自分が大切にしたいコト・モノ――。誰にとっても普遍的な内容は、地元ニュースなどで放送される度、反響が大きかったという。
2008 映像'07『私は生きる―JR福知山線事故から2年―』

(毎日放送)
JR福知山線の脱線事故で意識不明の重体になるほどの被害にあいながら、懸命に生きる鈴木順子さん(32)の姿を橋本が2年間にわたって追ったドキュメンタリー。

 2005年4月25日の事故当時、鈴木さんは犠牲者が最も多かった2両目に乗車。意識不明のまま救出され、家族は医師から死を覚悟するよう宣告されたが、5カ月後、奇跡的に意識を取り戻す。

 ニュース番組「VOICE」のキャスターを務めていた毎日放送記者、橋本佐与子(35)は、通勤途中で事故の一報を受けて現場に急行、リポートを続けた。「現実でありながら非現実的なものをみた、という恐ろしさが忘れられない」という。

 その後、「声を伝えねば」と負傷者取材を始め、鈴木さんを知った。家族に何度も手紙を書き、訪ねた末にようやくOKが出て、同年10月から取材を始めた。写真で報じられるはつらつとした鈴木さんと、あまりにもかけはなれた実際の様子に「テレビで映していいのか」と悩んだことも。

 鈴木さんの家族は理解してくれたが、それでも疑問がぬぐえなかった。その橋本の背中を押してくれたのが、鈴木さんの「よろしくお願いします」という言葉だった。「闘病してきた順子さんの姿を通して、背景にある大勢の負傷者についても考えてもらえたら…」

 身体に障害が残る鈴木さんを献身的に支える家族と、懸命に後遺症と闘う鈴木さんを丹念に追った。番組は「生きること」や「家族の絆」の大切さをなげかけてくる。

 鈴木さんは歩行器を使って歩けるまでに回復した。今回の受賞も「照れくさい」といいながら、家族とともに喜んでくれ、橋本の心をいくぶんか軽くした。「順子さんだけでなく、事故で人生が変わってしまった人はまだまだいる。事故を忘れないためにも取材を続けたい」-。橋本は力を込める。(産経新聞、2007年12月22日朝刊)
2007 SBCスペシャル 無言館(むごんかん)・レクイエムから明日(あした)へ

(信越放送)
戦後60年企画の第4回として、戦争体験の風化と向き合う取り組みを追ったドキュメンタリー。

 戦争で命を奪われ、画家への夢を絶たれた若者たちの絵を展示する美術館「無言館」(長野県上田市)。飾られている絵は、館主の窪島誠一郎さんが全国各地の遺族を訪ね歩いて預かった、画学生たちの「命の証し」だ。

 しかし、終戦から六十年たって遺族も高齢化が進み、あるいは亡くなったりと、徐々に戦没画学生のことを語ることができる人が減っている。同時に長い年月がたち、絵の傷み、汚れが進み、劣化が深刻化している。

 そんな中、窪島さんは残された絵の修復にとりかかった。絵画修復の専門家に依頼し、一つ一つ時間をかけて修復していく。さらに、新たな収蔵作品を求め全国各地を訪ね歩く。

 「こういう時代だからこそ、彼らが生きていた証しを守ることで、命の大切さを伝えていかなければならない」と語る窪島さん。番組は、取り組みを紹介しながら風化させてはならない、奪われた命の尊さを伝える。
2006 桜の花の咲く頃に

(フジテレビ)
北海道別海町の道立別海高校を取り巻く人々の、2003年春からの約一年間を描いた。登場するのは地域に住む普通の人々。日本放送文化大賞では、「“変わらないもの”に目を向ける大切さを示した」「字幕やナレーションに頼りがちのなか、圧倒的な映像の力で見せた」などと称賛された。

 バレーボール部キャプテンで酪農科三年の佐藤知美さんは前年、父親を事故で亡くした。父の思いを胸に高校生活最後の大会に臨む。同科三年の鈴木勇斗さんは漁業を手伝いながら通学、将来の漁業経営を夢みて函館の道立漁業研修所へ進学を希望している。多くの級友が就職するなか、普通科三年の星直美さんは北海道大学を目指す。

 国語の臨時講師、佐藤圭子先生は七年連続で教職員採用試験に落ちている。週末ごとに夜行バスで札幌の予備校に通って集中講義を受け、週明けからは休むことなく授業につく日々だ。

 ドラマチックな展開があるわけではないが、淡々とした日常の合間にはさまれる道東の情景が美しい。春、平原の真ん中に一本だけ立つ桜の木が花をつけた。冬には激しい猛吹雪に耐えていた木だ。卒業式を終えた各人は、新たな人生の一歩を踏み出していく。

 番組作りのためフジテレビでは、プロデューサーとカメラマンを一年半、現地に住まわせた。淡々とした日常を撮るために舞台裏では、大変な労力をかけている。

 横山隆晴プロデューサーは「普通に生き、暮らしている人々の記録。親が子供を思い、子供が親を思いながら懸命に生きていく美しさを感じてほしい」と話した。(産経新聞、2005年12月8日大阪朝刊)